チャイというもの。今までとこれから。

修行時代を過ごした藤沢の『ディンブラ』が、40年の幕を、一時閉じました。

私はここで10年間、今をつくる大切な下地を、大切な師匠と仲間からたくさんたくさん、教えてもらいました。
師匠のレシピはアバウトで、チャイは色と香りで判断しろというものでした。『ディンブラ』では、チャイをセイロンミルクティー(インディアンミルクティー)と呼び、スリランカの上質な茶葉で上品な味に仕上げます。茶葉の繊維質を壊さないよう、煮込むときは混ぜない、牛乳は沸騰直前で火から下ろし、煮詰めない。あくまでも優しく、優しく。そうする事で、1人前である1ポット分(カップ3杯分)が、最後までくどくなく、さらりとライトに楽しめるのです。

藤沢での修行時代は、師匠から学ぶことがすべてだったし、鎌倉の自分のお店ではその作り方を守りながら、自分なりにアレンジを加えていきました。それが一番正しいと思いながら。

しかしネパールでは、全く正反対の作り方をしていました。
茶葉は乱暴にガンガン混ぜるし、煮詰めるし。鍋なんていつ洗っているかもわからないくらい使い込んでいる。けれどそれはそれで、彼らのグラス1杯で飲むパンチのあるチャイを作るには理にかなったやり方なのです。(まぁあんま何も考えてないのかもしれないけれど。笑)
郷に入れば郷に従えで、ネパールでは私もこの方法でつくっていました。作り方を全く正反対にしたわけなので、当然戸惑いもあったし、何が美味しさなのかも正直わからなくなる時もありました。

ただ、『ディンブラ』でも『ミミロータス』でもネパールのチヤパサル(チャイ屋)でも同じことがひとつあります。

それは、
相手があってこその空間だということ。
手渡す人がいて、受け取る人がいる。
今私がつくるチャイ・チヤは、藤沢、鎌倉、ネパールを経て出来上がったもの。そしてそれはこの先も変わっていくかも知れないし、これで『完璧』も『正解』も、ないものです。
変わるもの、変わらないもの。
その時々の最高のバランスで、目の前にいる人をみながら、つくり続けられたらいいなぁと思います。
『紅茶は人が飲むから紅茶といえる。人との繋がり、相手を想ってつくること。』
師匠が残してくれたこの言葉はずっと、変わらないものです。
今は点と点だとしても、それは未来につながる線であることを、信じたい。