【mimiLotus 第2章*新しいお店は、信州・東御市】
鎌倉のお店をクローズし、ネパールでの生活を終えてから1年が経ちました。
帰国してから、自分がどこに身を置いて、何をしたいのかをずっと考えていました。
お店をしている頃は、その場所を守ることの尊さや安定と同時に、窮屈さみたいなものも感じていました。
ネパールでは、ガスコンロと手鍋だけを持って出会う人たちにチャイをつくり、日本に帰ってきてからしばらくは、出張チャイ屋としてたくさんの人に自分の経験を聞いてもらいながら、チャイを作っていました。
それはとても豊かで刺激的な経験でした。
けれどやっぱり私には、形あるもの、『ハコ』が必要だということに気づきました。
形としてみれば、『お店』というものになるのかもしれないけれど、がっつり飲食店とかはもうよくて、自分はここにいてこんな形でチャイや好きなものを発信しているよっていうイメージの、『ハコ』です。
そしてそのハコを守りながら、旅を続けたいという夢があります。
世界中で、ネパールでしてきたようなチャイを振る舞う旅を、したいのです。
何かを守る尊さも必要だけど、これからもチャイを通していろんな世界を見続けていきたい。
やりたいことと、できることは違うかもしれないけれど、口にすることで流れがそこへ向かうことは確かだし、軸があればあるほど、形は変わっていくものです。
その2本柱を叶えるにはどうしたらいいか。
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あった。あるやん、あるやんけー
うちよ、うち!実家!!
恋は盲目ってこのことだわ、ってちゃうちゃう、
灯台もと暗しの方!
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ということで、本題はここからでした。笑
信州の実家は代々、明治時代から商売をしていて、父の代で閉鎖し、今は廃屋みたいになってるスペースがあります。
そのスペース、使わせてもらえんやろか…
あるものを最大限に活かし、ミニマムな空間で自分の身の丈にあったものをつくり続けることが、やりたいことを具現化するには一番現実的ではないか。
そしてご先祖さまが守ってきた場所を、また私の代で使わせてもらい、華を咲かせるのもアリかなとも、思ったのです。
正直、信州での決断は全くあたまになかったことだったし、生まれ育った場所ではあるけれど、離れていた期間があまりにも長いので、1年過ごしていてもまだまだ自分の中の新参者感が否めません。
でも、100%な場所なんてどこにも存在しないと思っています。
どこにいても誰といても、パーフェクトな場所なんかなくて、だからこそ逆に言えば、どこにいても誰がいても、パーフェクトな場所になると思うのです。
ようするに、どこであっても自分の在り方次第ってやつかな、と。
それは、旅から学んだことでした。
と、まあ、気付いたら長々と。笑
ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。
書くことで、ようやくまとまってきた段階です。
準備もぼちぼち始めてはいるのですが、今私には、のっぴきならない私情があり、予定通り動けない状況であるのも事実です。
形になるには、ものすごーく、すごーーく先になるのだと思いますが、タイミングにはいつも守られていると信じているし、ぼちぼちカメさんペースでも、できることをしながら、いろんな想いを熟成させていきたいと思っています。

と、時代に合わせて形をかえて商売をしてきました。生粋の商売人の血が流れてるんかとも思います。

ザ・ハイオク(廃屋)部屋。
鎌倉のお店の道具とか家具とかそのままぶっ込んである。笑
どこから手をつけて良いのかわからない…

うちの裏の千曲川。
普段は穏やかだけど、ここ最近の大雨で増水気味。今日の一瞬の晴れ間。この後ずっと降り続きました。